千日回峰行

千日回峰行は、平安期の相応が始めたとされ、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。[4] 行者は途中で行を続けられなくなったときは自害するという決意で、首を括るための死出紐と呼ばれる麻紐と、両刃の短剣を常時携行する。頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。

延暦寺 - Wikipedia

無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。

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700日目の回峰を終えた日から「堂入り」が行なわれる。入堂前には行者は生き葬式を行ない、無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸七日半ほど)にわたる断食・断水・断眠・断臥(「臥」とは、横たわること)の行に入る。堂入り中は、明王堂には五色の幔幕が張られ、行者は不動明王真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、信者達の合掌で迎えられる。

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これを機に行者は自分のための自利行(じりぎょう)から、衆生救済の化他行(けたぎょう)に入り、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日続ける。

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7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻り、千日を満行する。

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最後の7年目は1年間で 84km*100日 + 30km*100日 = 11,400km の巡拝。

千日回峰行者は、未開の蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟のもとに、1年目から3年目は比叡山中255箇所を巡拝する行程約40キロを休まず各百日間、4年目と5年目はそれぞれ連続2百日、計7百日の回峰をする。
7百日終了の後9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じる。
6年目は京都市赤山禅院往復が加わる一日約60キロの行程を百日、7年目は前半百日を僧坊を出て京都市内寺社を巡拝往復する一日84キロの「京都大廻り」、後半百日を山中約30キロを行歩する。
7年間で合計一千日を回峰し「満行」とする厳しい修行である。千日で歩く距離は約4万キロ、地球を一周するに等しい距離になる。

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