連句的ウェッブ

10:46

  1. 俳句的(発句的?)
  2. 短歌的(和歌的?)
  3. 連句的(連歌的?)

11:00

短歌も俳句も、現代に繋るツリーの元には正岡子規がいる。

tumblelog について 11:21

引用とかって発句的だなあと思っていてそういう意味で tumblr の quote とか photo に自分の思った事とかなぜそれを引用したのかどこが正しいとかどこがおかしいとかを付加するのは野暮な行為だなと感じている。

じゃあ心象風景みたいなのを残すのが野暮なのかっていうとそんなこと全然なくて、どこかの誰かが残しているどうでもいい日常とか気持の波風の大小とかそういうノイズみたいなのは積極的に見たいと思っている。

で立ち返ってみて大好きな tumblelogging というヤツは七色のポスト(text, photo, quote, link, chat, audio, video)を、ダダダダダダっっとぶっ放すのが気持ちいいなあと思っていたんだけど、

これやっているときっていうのは前の post の重力に引っ張られて、次の post が行なわれるみたいな感じがあって、だーっと流して見ていくと前後すこしずつ意味の重心をずらしながら post が連なっていくなあという気付きが2012年一年間ちょっとずつスタイルを変えながらコレ http://hakka.g.hatena.ne.jp/taizooo/ をやってみて気がついたこと。無意識にはやっていたんだけども。

あるページから何かを引っ張ってきて、また違う箇所を引用して、なんか思ったことを書いて、そこからまた違うページに飛んで、またそこから何かを引用して、また違う引用からまた違う引用へ。

これまた大好きな tumblr ではどうしても、これまた大好きな reblog に集中してしまっていて reblog tree とか following/follower とかそういった繋りの部分とか、これまたダダダダダダっっとぶっ放す気持ちの良さに意識が持っていかれてしまうんだけども。tumblelogging の意味ってもっと幅広いと思うし tumblr でしか出来ない訳でもないし。

ここでは、そういう感じで自分の意識の流れを並べていくようにしたいと思います。

彼が持ってしまった自我について 11:26

あまりに長い時間 http://taizooo.tumblr.com/ やり続けてしまったので、彼は今やオレとは無関係に自我を持ってしまっていて、もうすでにオレの自由にはならない、みたいな感じになっている。

たとえちょっと気まぐれに崩したり、相手バッターにピンボールを投げるようなことしたり、そういうことがあっても、ど真ん中のストライクゾーンはもう決まってしまっていて、これは変わらない。いやたぶん変っていってるんだろうけども、そのスピードは、輝かしいスピードで走り続けてるインターネッツのスピードよりはだいぶゆっくりなような気がする。

だからたぶん、沈むとわかっている船に乗り続けることになったりするんだろう。

11:36

移行期的混乱 (via suwaowa)

私たちは、しばしば手に負えないもの、想像力のおよばないものを、無いものとして思考の圏外に追いやってやり過ごそうとしてしまう。

12:51

http://agora-web.jp/archives/1512037.html via majiare

「国なんてもろいものだ」

そんなこととは関係無しにヤツは自身をドライブしていく。オレを置き去りにして 00:08

http://hakkka.g.hatena.ne.jp/taizooo/20130110#1357784807

「書きあぐねている人のための小説入門」に、小説を書くというのはその小説が自分自身がドライブしていくみたいな話がたしかあって、リブログにもそういう気分があるなあ、とか思ったりした。

00:09

書く事、消す癖、君は誰 (via hinasssan)

やっぱり断片的な思いつきをまとまった文章にすることができずに、「一冊の本を読むとそこにでてきた様々な事柄に興味を持ちリンクして他のものにも食指が伸びていくのがおもしろい、当たり前のことだけど」とか「保坂和志の書いていた「運動性」についても書きたい」とか「この文章の途中のまだ終わっていない文を完了させなければ」というようなてんでバラバラのことが頭に浮かんで、この文章をうまくまとめることを投げ出しそうになっている自分がいるんだけど、それは気散じな自分の正直な気持ちの流れであって、

00:24

https://twitter.com/kanenooto7248/status/285811044318846976

JRの駅に着くまで450円かかる地域に住んでる人間と、山手線をぐるぐる回ってどこでもいける人間では、公共サービスに関する意識は必然的に異なる。

00:25

https://twitter.com/taizooo/status/289347408784138240

JRの駅に着くまでに無数の道筋がある場所の人間と、山手線をぐるぐる回り続けて抜け出せない人間とでは、自由に関する意識は必然的に異なる。

00:27

見たことが無い世界の果てがあると信じていた人間と、見たことも無いのに世界には果てが無いと知ってしまった人間とでは、

00:29

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/85677/m0u/

さい‐はて【最果て】
1 これより先はないという端。特に、陸地や国の中央から最も離れた所。「―の地」