2013-12-04

11:14

http://booklog.kinokuniya.co.jp/kodai/archives/2013/12/post_122.html

お裁縫から女性を解放することが大切だ。それには、女性自身の中から、デザイナーや技術家が、続々と出て、立派に職能人として通るようになり、このひとたちの手で、より合理的な、しかも安価な既製品を大量にうみだすことである。消費者としての女性は、いわゆる「お裁縫」などで、一日の貴重な、しかも長い時間を浪費する必要はない。

しかし、これは、一般の既製服についてもいえることであるが、大きな問題をふくんでいる。それは日本の女性には、自分で縫うという習慣があるため、きものを縫うに要する労力の計算をしないのである。「お針もできない」ということは女の資格がないことのようにいわれてきた。東京の真ん中のしかも進歩的と称する奥さんやオフィス・ガールでさえ同様である。一着の既製服をみても、生地代は、裏代は、という材料費の原価計算をするだけで、仕立代の計算をしようとしない、つまり商品の真価が計算できない状態ではなかろうか。「あら高いわね?」という。それは、生地三ヤールでいくら、という生地代で、作る労力は、自分が縫ったらという基準で計算して、労力のねだんは計算に入れないようである。

彼らには、敵将の退任や日本代表の選手などどうでもよかったのだ。 09:58

コラム:鹿島サポーターの振る舞いに見た、Jリーグの魅力の真髄 - Goal.com

その歓声の正体はC大阪の背番号7、新井場徹に向けられたものだったのだ。鹿島サポーターの多くが身を乗り出し、新井場の名を声高に叫ぶ。中には新井場のユニフォームを掲げている人もいた。そのボリュームの大きさは新井場が鹿島のゴール裏に接近するにつれて大きなものとなり、名将との別れに沈む長居スタジアムにおいて明らかに異質なものであった。

彼らには、敵将の退任や日本代表の選手などどうでもよかったのだ。いや、もちろんリスペクトは示していたはずである。実際、クルピ監督の挨拶の時にもブーイングなどは一切聞こえてこなかった。しかし彼らには、もっともっと大切なことがあった。かつて、赤き結束を交わし、3連覇の偉業を達成した旧友、新井場との再会である。

あの「強い鹿島」の中心には、常に新井場がいた。新井場は、当時高卒ルーキーだった内田篤人にも大きなインパクトを与え、2008年にはその左手にキャプテンマークを巻き、金色のシャーレを天高く掲げた。そんなクラブのレジェンドに、鹿島サポーターは愛の全てを表現した。タイムアップの笛を境に、彼らは新井場を自分たちの選手と認識したのだ。実に美しく、実にときめく瞬間であった。