2013-11-11

13:53

http://web.archive.org/web/20081011130932/http://www.ce-lab.net/ringo/archives/2006/07/post_111.html

宿題

User Created Contents と、TOYOTAカイゼンの話 から。

問題を解決していくために、誰がどういう役割をするか。

1:考えかたの枠組みを作る人

2:考えかたの枠(テンプレート)があれば取り組み、初期データを作成できる人

3:パラメータ調整や、データ修正ができる人

4:上記のデータをなんとなく利用している人

といったように、仕事の抽象度に応じて4段階に分けてみると、

1が1000人に1人

2が100人に1人

3が10人に1人

4が残りのすべて

というように、抽象度が下がるに従って、人数はだんだん増えていく。

仮に、この考えが正しいとする。

ネットの影響によって、

1が作った枠組みを速く普及するようになった。

2のデータ入力を速くできるようになった。

3のデータ修正を速くできるようになった。

その結果、4および全体にとって役立つ情報が、速く生産されるようになった。

しかし、それだけではだめだ。

1と2と3の人数比が増えるようでなければ、

ネットが本当に革命的であるとは言えない。

ロングテールの立場によると、

「京都のラーメンについてはゼロから考え方の枠組みを作れる人」

「70年代特撮についてはテンプレートがあればデータ入力できる人」

などなど、ある特定の分野では1や2や3になれる人というのがいるはずで、

それら特定のことに詳しい人をうまく発見できれば、

1、2、3の人数を実質的に増やすことができるかもしれない、となる。

ここまではすぐに到達するだろう。

しかし、それでもまだ足りない。

70年代の特撮について、誰かが作った情報を何となく楽しんでいる人が、

70年代の特撮について、テンプレートがあればデータ入力できる人に変化し、

さらにテンプレート自体を作れる人に変化しないなら、

やはりネットが本当に革命的であるとは言えない。

そんなことは可能なのだろうか?

具体的にこうすればよい、という方法はまだ思いつかないが、

私が思う大事なことは、1は2を、2は3を、3は4を、

それぞれ上のレベルに引き上げるためのきっかけを作ることが

できる可能性があるということである。

たとえば、4の人でも、適切な人と、適切なタイミングで、

適切な対象について、適切な場所で、適切な方法で会話をすれば、

データを入力できるようになるかもしれないし、

3の人でも同様に、テンプレートを作れるかもしれない、

という具合である。

適切な人(who)、タイミング(when)、対象(what)、場所(where)、方法(how)のうち、

whoとwhatについては、SNSによって30%ぐらい解決された気がするが、

whereはまだ10%、whenに至っては5%、howは1%程度しか解決されていないだろう。

(whyについては糸口さえ見えていない)

まだまだやるべきことは多い。宿題だらけだ。

13:37

firefox extensionのこととか、みんながそれぞれバラバラに少しずつかいてて、それをまるまるコピーしてひとつに持ってきて、偉大なエディターが編集したらそれだけで役に立つとおもうんだけど、慣習としてまるまるコピーするのがNGなのでできない。ほんの数人が書いてるだけのsiteinfoの書き方を全部コピってきて編集してても編集するのが大変だ。それぞれみんな違う観点で書いてたりするので、話としてまとまりがあるようにするのも大変。

でも単純にコピーしてひとつのHTMLとして繋がってるところに持ってくるだけでもぜんぜん見通しとか変わると思う。

その点で2chのコピペブログとかうらやましいなー。そういうことをしてもだれかに怒られたりしないし(ぜんぜん怒られてるけどー)、でも見てる人はあんまりそれどーよっておもってなさそうだし。

Ringo's Weblog: 宿題のこととか思い出すけどよくわかんないなー。

写真だったらそれも不可能じゃない 13:36

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto/2006/04/06/3585.html via ku

そうですね。ぼくは1999年にデジタルカメラを使い始めたのだけど、当時は1日にメモリいっぱいで50枚の写真が撮れました。それは言い換えると1日に50枚の作品が作れるということであって、その「多産性」に興奮しました。というか、自分はほんとうはこれだけのハイペースでじゃんじゃん作品を作りたかったのだと思いました。かつて画家の大竹伸朗は「100号の大作を3分で描いたっていいじゃないか」という発言をして、ぼくらのまわりでは名セリフとして語り継がれていました。どう考えても100号のキャンバスには3分で絵は描けないわけで、大竹の言葉は不可能なことを逆説的に語る一種のジョークのようにぼくたちは考えていたわけです。でも写真だったらそれも不可能じゃない、と気がつきました。

Gentle Giant方式 11:31

椅子や楽器がたくさん並んだ中で、出番が前か後の学校の編成のままなのかな、と思ったら、ビックリ。Gentle Giant方式なのね! 演奏も上手だし、まとまってる。これはいい!

楽器のクレジットを見ると、もう笑うしかない。やり過ぎである。

Acquiring The Taste

Derek Shulman alto sax, clavichord, cowbell, lead vocals

Ray Shulman bass, violin, viola, electric violin, Spanish guitar, tambourine, 12 string guitar, organ bass pedals, skulls, vocals

Phil Shulman alto & tenor sax, clarinet, trumpet, piano, claves, maracas, lead vocals

Kerry Minnear electric piano, organ, mellotron, vibraphone, Moog, piano, celeste, clavichord, harpsichord, tympani, maracas, lead vocals

Gary Green 6 & 12 string guitar, 12 string wah-wah guitar, bass, donkey's jawbone, cat calls, voice

Martin Smith drums, tambourine, gongs, side drum