「教育機会を自己利益の追求に読み替えてはならない」
もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。
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いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。
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本来のscholarshipというのは高等教育の自由な参入と離脱を保証することでその教育の質を保つ機能とともに、特に優れた学生へのインセンティヴとして機能していた筈なのだが
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公教育の正当性は、「金」ではなくて、「いのち」という度量衡で考量されねばならない
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「教育機会を自己利益の追求に読み替えてはならない」
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教育を受けること、勉強することは「自己利益を増大させるためのものだ」と思っている。
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教育のコストは自己負担であるべきだというロジックはそのような世界においては合理的である。
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「教育のコストは自己負担であるべきだ」というロジックが合理的であるような社会は共同体として「滅びの道」に向かう他ない
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