刹那的
(追記)
http://tabesugi.net/memo/2010/41.html#251411
いままで、日本のソフトウェア産業のうち、ゲーム業界だけは 世界的にみても日本は大きくリードしているもんだと思っていた。 が、この Wii の話を読んだら、それもじつは短期的なダッシュにすぎず、 ただ日本的な (過労に近い) 職人芸のおかげで表面的に取り繕られたものじゃないかという気がしてきた。 べつに職人芸が悪いというつもりはないが、「職人」が手がけられるのは、 原則的にほぼ一人の人間の手におえるサイズ・製作時間のものだけである。大規模・長期間にわたる プロジェクトでは、長期的な戦略・よく練られたフレームワーク・ 言葉や慣習の違いを越える堅牢なコミュニケーション手段が必要だ。 ゲームが将来的にそこまでいくのかどうかはともかく、 結局のところ、あるフレームワーク (あるいは lack of it therein) を選択することは、 ある思想というか、哲学の表明である。なぜなら、長期にわたってフレームワークを維持するには、 ある種の思想をもって障害と「戦わ」なければいけないからだ。 ここでもまた「日本人はそういうのが苦手」という 実例を見せつけられたようの気のする。 うちらって刹那的な民族なのね。おわり。
ふと考えたのだが、これまでに何か自分でオリジナルなものを考えたり、 作ったりしたことがほとんどない人は、そもそも物事の 「オリジナルさ」に対して驚く、という感覚がないんじゃないか? つまり世の中のモノはすべて他人の真似であり (もちろん、すべての人工物は多かれ少なかれ何かの真似だ)、 「他人を(より巧妙に)パクること」だけが偉大な achievement だと思っているんじゃなかろうか。
http://tabesugi.net/memo/2010/41.html#092048