2014-01-02

[]tumblr 創世記 その四 (ヤバイ、JavaScriptマジヤバイ の巻) 14:04

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「遠い昔、遥か彼方 Web 辺境の地で、」

2007年7月、休日出勤の気怠い昼休み、その地に踏み出した。

これは、全く個人的な、私自身の tumblr との出会いについてのおとぎ話です。物事には始まりがあります。宇宙の誕生。原始地球からの自己複製子の登場。生命の誕生。自分の誕生。自我の目覚め。

さてそんなことはさておき tumblr という Web 辺境の地で人々がどのようにその技術を駆使して、わたしたちの世界を拡張していったのかを探していきましょう。

世界の始まり

dashboardの深さが有限であることを、皆様ご存じでしょうか?これはフォローしている古参の種類によりますが通常、2007/3/末〜4/始あたりといったところになります。

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dashboard には底があります。一つは世界の始まりとしての底です。それは、David Karp によるファースト・ポストがそれにあたります。

そして、もう一つの底は、われわれの世界の始まりとしての底です。つまりわれわれの世紀の起源、紀元0年にあたる地点のことです。それは我々の仲間達が初めて tumblr を発見したその瞬間であると言えるでしょう。

日本で最初の男たち

さて、世の中には、それがいったい何なのか、その正体を理解していないにもかかわらず、それを見つけだす力を持つ人々がいます。いわゆる「目利き」の効く人々です。tumblr も一番最初は、そのような人達によって見出されました。tumblr を作っている人々自身がその意味を理解していなかった通りに、その目利き達もただその勘を頼りに、tumblr を見出しました。

日本で一番最初に tumblr についての記事を残したのは、その後、極悪非道な開発者として tumblr 界隈を陰から牽引していったことで知られる ku サンでした。残念ながらその記事は消失してしまっていますが、はてなブックマークにその痕跡を見つけることが出来ます。

その ku サンが tumblr を見つけたのは MoMB のこの記事でした。新しい地平が広がるというには、実にささやかな紹介でした。

grabs snippets of every post that goes up on Tumblr and drops it on one page for easy scanning.

この MoMB の記事を読んでいたもう一人の男がいました。それが、日本で一番最初に tumblr に join した kenmat (aka suwaowalog)でした。

天地大戯場

この post は、AutoPagerize 時代の啓示である、「一番最初の post に何を置くのかは非常に大きな課題である。」という重要な post でもあります。

この二人がその後どのように tumblr と関わっていったのか、という事実が指し示しているのは「知っているだけでは意味がない。実現にこそ価値がある」ということそのものでした。それは、ここに生きるための規範といっても過言では無いでしょう。

その後、tumblr はいわゆるニュースサイトでとりあげられ、新し物好きの彼等に発見されることとなります

目利き達が2007/03/13に tumblr を発見してからごく短い助走期間を経て、2007/04/03にメジャーな場に tumblr の文字が踊ることで、われわれの世紀は幕を明けました。ハレルヤ。

インターネットにも深さがある

さて、インターネッツの箱庭である dashboard の深さが有限であることを示してきましたが、その外側のインターネッツ自身においても、その深さが有限であることを示しておきましょう。

( via https://people.freebsd.org/~kiri/hit24/)

( via RPD)

web は1991年に CERN にて Tim Berners-Lee によってその歴史が始まりましたが、爆発的に拡大したこの web の網の目を見渡すためには Google Search にインデックスされている必要がありますが、このインデックスでさえもその深さが有限なのでした。さらに考古学的に web を探求するためにはその地層を発掘する必要があります。web においては Internet Archivewayback machine が唯一この役割を担っているといえますが、この地層についてもその深さが有限なのです。また人類が始めてフォークソノミーという概念で、ソーシャル、よくわかんない他者を意識する、というものに触れたのがソーシャルブックマークサービスだったのですが、これについても深さが有限なのです。

われわれの認識は、ある一定の、有限の深さに囚われています。われわれの世界の外側にわれわれが触れることの出来ない次元が存在します。これは非常に重要なことです。

また言い換えるなら、われわれの認識には起点(基点)が存在する、とも言えます。なにごとにも始まりが存在します。

その時代の始まり

2005年の初頭、ある男の咆哮がインターネットに鳴り響きました。それは、まだ何者でもなかった secondlife サンでした。その様子は2001年宇宙の旅のオープニングにて、われわれの祖先が空中にそれを投げ上げたのと同じ意味を持っていました。

ヤバイ、JavaScriptマジヤバイ

Webの世界において、2006年から2007年にかけては実にエポックメイキングな年でした。

言うなれば2005年はその時代の幕開けになります。ここが起点(基点)になったと言えるでしょう。そしてその後その場所、周辺は人や技術や興味といったあらゆるものを集めていきます。


subtech, shibuya.js,

この、メインカルチャ( = 旧来の難解なコンピュータを取り巻くあれこれ)に代わって登場した、現代の新たなネットワークがもたらした知的環境が可能とした技術文化を、言葉の真の意味でのサブカルチャと捉え、また、90 年代が意味を付与した「サブカル」という響きに表される楽しさ・ユーモアを技術的表現に見いだしていく態度、それを我々は「サブカルテクノロジ」と名付ける。

subtech という場は、2005/04月に現われました。はてなグループにその名前は刻まれてはいますが、実際の場はその外側に拡がっていました。subtech は Lightweight Language と呼ばれるプログラミング言語に関わる人々を中心に場を形成していきます。

さて、われわれリブログマンキーのフォースであるところの JavaScript はその当時、その中心にはありませんでした。それは reblog と同じように虐げられた存在として存在していました。その力を知られることなく。ごくわずかな人々を除いて。そして2006/02月に高らかな宣言の元、shibuya.js が登場します。

10 年。

世界が JavaScript の真の実力を発見するのに要した時間である。

JavaScript は、Web の「あちら側」と「こちら側」とを取り結ぶ、もっとも古くてもっとも新しい、そして、もっとも重要な技術だ。次の 10 年を自らの手で創り出すために、我々は Shibuya.js を結成した。

shibuya.jsJavaScript を中心に、世界中に散らばっていたいろいろな人達を集めていきます。その様はまるで、以下の一節のようなものでした。

それを作れば、彼が来る」

新しい魅力的なその「場」には、次々と魅力的な人達が集っていきます。その中に、ある一人の男がいました。brazil と呼ばれるその人の登場です。

Shibuya.js Technical Talk #2

どうやって気立てがよくて頭のおかしい人にチャンネルするか

好みのキチガイを発見する

新しい魅力的なその「場」は、このような人々を見つけ出し、結びつけ、反発し、引き付け合い、大きな反響を生み出しました。brazil サンが登場したのは、Shibuya.js Technical Talk #2 でした。それは2006/06/30のことでした。

私の考えるJavaScript

そのプレゼンテーションは、カラフルでエッジの立った魅力的なものだったようです。残念ながら、その魅力は web に残っている記録から想像することしか出来ません。JavaScriipt は「場」であること、多様性、Mixable であること、などなど。プログラミングのわからない私にとっても魅力的な言葉やイメージが並びます。そしてそれは、後に現われる tumblr に相通じるイメージでもありました。


Podcastle、そして

その後一ヶ月を待たずに、brazil サンは Podcastle という産総研のプロジェクトに関わることになります。

  • 7月3日には、そこに eto さんが加わる。
  • 7月12日のミーティングで arai さんと、arai さん経由で brazil さんが加わる。

そして、この Podcastle のお披露目の場として、Wiki小話/Vol.7 - Podcastle Night が開催されます。

AutoPagerize が産声を上げる数日前の2007/01/09 平日火曜日の19:30から1時間ほどの小さなトークセッションが行われました。 そのトークセッションは、「Wiki小話/Vol.7 - Podcastle Night。」と呼ばれるものでした

このトークセッション、発表者、参加者にはそうそうたるメンツが名を連らねています。

発表者としてブログラマー首狩り族の長として名を成す eto サン、マスター・オブ・tombloo な brazil サン。

参加者として secondlife サン、otsune サン、dotimpact サン、arton サン、mala サン、yappo サン、kzys サン、kakutani サン、tsuda サン、youpy サン、tsukamoto サン、他。そして AutoPagerize の創造主となる swdyh サン。

この短いトークセッションが残したものは非常に大きかったと言えます。

この後 tsuda サンは「CONTENT'S FUTURE」という書籍を発行します。そして、このトークセッションが縁となり eto サンとの対談が載ることとなります。このときがおそらく、パターンランゲージWiki と XP の関係について私達が初めて知る機会となりました。そして、これは後の「パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則」 につながっていきます。

また eto サンはいわゆる Web 界隈のプログラマー達のゴッドファーザー、またの名を、ブログラマー首狩り族の長として、数々の濃い人達をいくつものプロジェクトに巻き込みまたインターネッツの世界を広く支援していきます。

そして、この場に立ち合った swdyh サンは後に AutoPagerize 、そして wedata を開発することとなります。そして wedata は産総研の支援を受けて、このインターネットを照すことになります。またその力は、dashboard に深く深く潜るための推進力をわれわれに与えました。ハレルヤ。

wedata は、独立行政法人 産業技術総合研究所(AIST) 共有知ブラウザプロジェクトにおける研究成果として公開しています。

そして、ここでの主役である brazil サンが、華々しくデビューした tumblr に join し、われわれのライトセーバーであるところの Share On Tumblr/tombloo を生みだすのは、その数ヶ月先のことになります。そのお話についてはまたいつか。