http://d.hatena.ne.jp/murrari/20110905/1315201728

その場を通り過ぎ、スーパーで長めの買い物をし、再び彼女達の前を通り過ぎる。一人の女児は、まだスケッチブックを抱え持って鉛筆を走らせていたが、もう一人の女児は、スケッチブックを足元に降ろしていた。そしてスケッチブックの代わりに手にしていたのはケータイであった。彼女はそのケータイで神社を撮影し始めた。

これなら、ケータイに保存された何枚かの構図から「ベストショット」を家に帰って、時間に追われる事無くじっくりと選択出来る。三次元のものを二次元に起こす変換作業も、炎天下の現地でマニュアル作業で行う事無く、冷房の効いた(要節電)家でゆっくりと二次元→二次元に「コピー」すれば良い。何よりも出来た絵は、現地で「観察」したものよりも、「パース」や「ディテール」が「狂う」確率が少なくなり、画面内で破綻する事も少なく、その見栄えは良い。その上で、その「コピー」の上に「創造」的「表現」を、ほんの少し加えれば良い。恐らくそれを「見破る」事の出来る教師などいないだろうし、「良く描けている」「良く観察出来ている」という評価を与えられもするだろう。

果たしてケータイの彼女はどういう宿題を提出したのであろうか。それを「絵に起こす」事ばかりが想像されるが、しかしその複数の画像をプリントアウトして、それを鋏で切り刻み、糊で台紙に貼り付け、いや最近の小学生は Photoshop が使えるかもしれないから、それをモニタ上で切り貼りして、フィルタやレイヤーの掛け具合などを工夫したりして、それを「図画工作」の宿題として提出したというケースも、全くのゼロでは無いかもしれない。或いは別の子が、歴代プリキュアや歴代仮面ライダーの「キメラ」なハードコピー図画や工作を持ってきたらどうだろう。