大量生産こそ本当の力ではないのか

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グーテンペルクの『四十二行聖書』が作られたのは一四五五年ぐらいで、はじめのうちは、印刷の本というのは中世の写本の延長線上でした。ほとんどがラテン語で、大量生産を意識しないんですね。中世の手書きの写本というのは貴重品で、もうほとんど美術品なんです。グーテンベルクはそれに負けないように、きれいな本をつくつた。「印刷でも手書きに負けないぐらいきれいなのができる」というのが初めのうちはセールス・ポイントだったわけです。


しかしそのうちに、大量生産こそ本当の力ではないのか、写本を真似するんだったら写本でいいじゃないか、大量につくれるからこそ印刷は意味があるんだということがわかってきた。そうなると、ラテン語の本をつくつても売れる数はたかが知れてる。俗語のほうがはるかに売れる。そもそもが、印刷出版業は当初から営利事業でした。それで俗語の書き言葉化が進んだ。同時に、できるだけ広い範囲に売りたいから、スペリングとかを統一し、文法も整備していく。そういうふうにして、印刷書籍によって俗語の標準語化、つまり国語化が進められたと思います。それが一五三〇年ぐらいからです。ちょうど職人たちが発信し始めるのと同じ頃ですね。