それは、演説や朗読の後ろに伴奏としてギターがかき鳴らされる様な音楽では最早ありません

ブルーノート東京/中原昌也/少女時代 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME


半減期ではありませんが、全員がそれを完全にやりきるには、おそらく50年はかかります。それをしている時間はない。それをしている間に、時代は動くのです。ワタシは告発などという、中世における決闘並みの、流暢でエレガントなことをしようというのではない。重ね重ね、ワタシがしたいのは社会動向についての問題提起なのです。

ワタシは、自分はインターネットをそんなにやらないし、ちゃんとしたオトナである。というような、自分を安全圏に置く様な考え方をしていません。どんなテクノロジーにも功罪はあります。ワタシはタクシーに乗って公園の花を眺めながら走るのが好きですが、タクシーは危険極まりないテクノロジーですし、公園というのは、むっちゃくちゃに不自然な人工物です。

自分を含めた誰もが吸血鬼に成りうる。そこに闘いがあるのです。しかし、この闘いは非常に有意義でヴァリアントなものです。

音楽の力は、60年代以降、反戦に代表される、社会的な有効性を信じられて来て、それが一度無化されました。ワタシは、音楽が戦争を止めるとは思いません。音楽が人々を変えると思うだけです。それは、演説や朗読の後ろに伴奏としてギターがかき鳴らされる様な音楽では最早ありません。リズムとサウンドによる、完全な抽象性に寄る物だと思っています。