「音楽が好きかどうか?何かバンドとか楽器とかやっているかどうか?そしてダンスは好きかどうか?」

女性編集者は狂うのか(同時多発) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME


そうです。ワタシはつまり、この二者(音楽とダンス)を欠き、食と服と文章だけを生きる人々のほうが、世界でもし数的に多かった場合。どちらが狂っているかという多数決において、音楽を流して、ハーモニーやメロディーに感動したり、リズムに興奮したり、音色にうっとりしたりする人々が、流れて来た音楽に合わせて感極まって体を動かす。という事を出来る人々が、もし数的に少なかったりしたら、ワタシを含む、そうした人々が狂人であるという社会が来ても、ひとつもおかしくないかもしれない。と思っているのです。ワタシの今後の活動は、場合によっては、総て地下活動に成るかも知れない。麻薬のようにです。

人類史が始まってからこの3/11までの間、人類は、どういうふうに、どのぐらい、どんな感じで音楽が好きなのか、実ははっきりと問われない世紀を生きて来ました。ただライブに通って、相手が客商売で自分をむげに扱わないという理由だけに惑溺し、自分と一体化もしていないライブ会場で、じとっとミュージシャンを見つめ続けるだけで、誰からも殴られないし、追い出しもされなかった。それも立派な音楽の消費だった訳です。

それが、グリグリのゴリゴリに問われ、しかも音楽と自分が一体化していればしているほど被差別的に成らざるを得ない社会が到来したら、ワタシは残された人生半分を、その差別との闘いに費やしてもまったく苦ではないと思っています。ワタシが、ワタシが思っているよりも遥かに、一般的な意味での「音楽の力」が、社会効用的に低い事をワタシは最近知り(特に、MTVアワードの会場でです。ガガに心酔するひと、AKBに心酔する人、少女時代に心酔する人、シャイニーに心酔する人々の間には、明らかな壁がありました。そして、この壁を取り払ってしまう強度を持ったいたのが、何とエクザイルだったのですが、このレポは後日)東京に出て来た童貞の少年の様な気分に成っています。ワタシは、直感的に。ですが、凄まじい恐怖心を抱いています。服と、食事と、車と、文学一般と、あらゆるものを愛でながら、そこに音楽がかけている人々。をです。彼等と闘います。しかし非常に難しい、彼等は音楽雑誌の編集部の中にいたりさえする。それでは