何物でもなかった。何も象徴していなかった。

最終日をプロデュースした沖野修也は、ソウル/R&B系のミュージシャンを中心に声をかけたようだ。その中に元ラヴ・タンバリンズのエリが「Cherish Our Love」を一曲だけ歌います、という告知があって、

http://www.jarchive.org/text/sbyhmv.html

違和感を持ったのはまさにこの曲の時だ。エリが登場し、パンツを履き忘れて家を出て、人がくれたけど結局脱いじゃった、と笑いながらMCをして歌い始めた時、客の反応が少し鈍かったのを見逃せなかった。客の顔色をうかがうようなタイプのアーティストではないから、本人にはどうでもいいことだろうけども、この曲を初めて聞くような表情の客がとても多く見えた。エリの歌う「Cherish Our Love」は相変わらずすごいし、淡々としたクールなバックトラックとは裏腹に、高音と低音、ささやきとパワフルなスタイルが常に行き来するコントラストの強いメロディラインは、一曲の中でエリというボーカリストの表情をいくつも引き出す、ソウル・シンガーのための楽曲として完璧だった。でも音楽それ自体とは別の、先に書いたような意味づけをこの曲に感じている人は(沖野は「この曲は最初で最後ですから絶対に聞き逃さないで下さい」と歌う前に何度も強調した)、あまり多くなさそうだった。

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だからこう言えるのではないだろうか。「Cherish Our Love」を共有していないということは、90年代にタワーレコードではなく渋谷HMVに来ていた客は、もうこの閉店イベントに足を運んでいない。ここにはそれ以降の、特定のイメージを持っていない客が集まっている(出演者の中では一番メジャーなスガシカオがゲストで登場した時に一番大きな歓声があがっていた)。

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だから何が終わったのかといえば、90年代や渋谷系ではなくて(それらはとっくの昔に終わっていて)、終わったのは渋谷HMVというお店以外の何物でもなかった。何も象徴していなかった。

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