Datamoshing の技法の面白いところは,ひとつに,「技術」が「質感」に変わる瞬間を見ているという点にあると思う。以前,「JPEG 圧縮によるモスキートノイズが『味』として解釈されるようになる日がいつか来る」というようなことを言っていた絵描きさんがいたのだけれど,なかなかそういった感情を持つ機会は,これまでに現れなかった。また,「MP3 のエンコーダーによる音質の劣化の違いが『個性』として解釈されるようになる日が来るかもしれない」というようなことを言っていたミュージシャンもいたのだけれど,これもやはり,そのような心境になる機会はこれまでになかった。 Datamoshing の登場は,このような「『技術』が『質感』になる日」がとうとう来るのだということを予感させる出来事だと思う。

Datamoshing - 映像の乱れの技法 - Radium Software