結局のところ数十億円の予算を何に使っても大局に影響はないということに尽きるのではないか.

政府ごときが数十億円くらいポーンと、どうでもいい的外れなところにつかっても、大勢には影響しないと.


それは、ドウデモ良くない状況にするには、数十億円じゃ足りないと言うことか.それとも、どこにつかってもドウデモイイと言うことか.


それとも、親は無くとも子は育つということか.

日本でもここ30年近くIT絡みの振興政策に関しては外し続けた訳だが,発想の外し方ほどには深刻な状況に陥らなかったのはボトムアップオルタナティブがあったからである.例えば,第五世代コンピュータに俊英を集めたことが汎用機指向でダウンサイジングを遅らせたという指摘があるが,ちゃんとNECは1970年代からTK-80を嚆矢に日本のマイコン・シーンをリードしていった.シグマプロジェクトの最中にも,SONYはNEWSを完成させた.郵政省がINS構想,通産省OSIを推進した時も,村井純先生が心ある民間企業から寄付金を募ってInternetの研究を続け技術者を育てた.NTTが光化の阻害を懸念しADSLを潰そうとした時も,Softbankが押し切って日本を世界に冠たるブロードバンド大国にした.数年前には既存3社で1GHzを山分けするという報告書が出た携帯電話についても,ちゃんと非IMT系技術に2.5GHz帯を割り当て新規参入も認める方向に梶を切った.我が国の政策過程を眺めて驚嘆するのは個々の議論,個々の施策を技術者として眺めていても眠たくなるし茶番としかみえないようでいて,10年単位の大局で眺めてみると案外どうにかなっていることだ.