書くこととコミュニケーション

記憶力と記録力
ちょっと気になるエントリーだったので、関連しそうな内容について自分のためにメモ.

困難は手法を見つける手がかり

つまり「記憶力よりも記録力」だね。

記録力は、実は意外と難しいです。いかに頭の内容を書き出し、分類するか、それがテーマになるからです。

あまり意識していなかったけども、こんなところにもパラダイムシフトが起きているんですね.

記憶力より記録力

脳って、思考するための物としては、唯一無比のものなんだけども、こと記憶に関して言うと、これほど心許ないものは無いのです.

システムにまかせるべきもの、脳にまかせるべきもの、の二つの区別、そして自動化、自働化、それと無意識で機能するシンプルなシステム.(デビッド・アレンもその必要性を説いている)

ダンプを解析する技術と伝える技術

技術や知識が記録になった時点で、その記録を通じて他人とそれらを共有することが可能になると思う。そしてその記録は自分の記憶力の限界も越えることができる。


自分の頭に記憶する能力よりも、外側の「なにか」に記録する能力が、必要になっている.記憶を共有することは困難だが、記録は多数の人々と共有することが出来る.共有することが出来るような、共感を得ることが出来るような、記録する力が求められている.

プログラマのみなさんが大好きなポール・グレアムは以下のように、書くことの重要性、コミュニケーションの重要性を語っている.

コンピュータサイエンスの学生へのアドバイス

うーんリンク長すぎ.これは wiki の悪いところか.

まあまあのプログラマと優れたプログラマの間にある違いは、どれだけたくさんのプログラミング言語を知っているかではなく、JavaPythonのどちらを好むかということでもない。違いは彼らがアイデアについてコミュニケートできるかどうかという点にある。他の人を説得することで、彼らは力を得るのだ。明快なコメントや技術仕様書を書くことで、彼らは他のプログラマが自分のコードを理解できるようにしており、それによって他のプログラマがコードをスクラッチから書き直すのでなく、そのコードを利用できるようにしているのだ。それなくしては、コードには価値がない。エンドユーザのための明快な技術ドキュメントを書いてコードが何をするものなのか人々に理解できるようするというのが、他の人たちがそのコードに価値を見いだせるようにする唯一の方法なのだ。Sourceforgeには誰も使わない有用なすばらしいコードがたくさん埋もれているが、それは文章があまりうまく書けない(あるいは全然書かない)プログラマによって作られているからだ。そのため彼らの為したことを誰も知らず、彼らのすばらしいコードは萎れてしまう。


この一連の話は、ノンプログラマーなオイラにとっても、とてもおもしろいお話なのだ.ちょっと考え続けたいテーマです.