アサマシと表現

http://diary.yuco.net/20060323.html#p01
「表現者として飯が食えるか」についての貴重な証言 - My Life Between Silicon Valley and Japan より.


表現者と「ウェブ進化論」 | 住 太陽のブログ にて、この日本でも、アサマシで食っていけるぜ.オイ.食っていけないのは、食っていく覚悟がないからじゃないの.という提言があったけども、これに対して、http://diary.yuco.net/20060323.html#p01 にて、自分の欲求に任せた表現という行為で食っていくのって難しいんじゃん.って指摘されていた.


これって、自分のやりたい仕事で食っていけるかっていうと、そんな単純ではなくて、それって汚い仕事じゃんって、いわれるような仕事で、ボロ儲けする人もいたりするのとおなじかなぁーと.


食っていくことを目的とするなら、いろんな方法があり、人々の尊敬をあつめるなら、また、いろんな方法があり、そのどっちを極めるのも、根性が必要で、その両方を極めるのは、やっぱり才能と努力が必要なのではないかと.


あっち側というのは、こっち側と同じように、社会というものができていて、そういったことはリアルワールドとかわらないのだなーとおもったのでした.


こっち側の世界では凡人でも、あっち側の世界ではイチローとかナカダになれる人がいるということかな.そのことがこっち側のエライ人にはわからんのですよ.


オレ?オレだったら、この手を汚してでも、カミさんを質屋にいれてでも、メイク・マニー、したいっす.ウソ.