この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人々
これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。
けれども、この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人なしには、私たちの生活は成り立たない
「お掃除をする人」はその非冒険的な相貌とはうらはらに、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」というシシフォス的劫罰の重要性を理解している人なのである。
シジフォスの劫罰(ごうばつ)
シジフォスというのはギリシャ神話で、ゼウスに罰として巨大な岩を山頂まで運ぶように命じられる気の毒な人物である。
で、その岩というのはせっかくてっぺんまで運んだにもかかわらず自らの重みで転げ落ちてしまう。罰というのは、これを永遠に繰り返なければならないというもので、「シジフォス」「シジフォスの岩」は不条理とか無意味、徒労という意味でよく用いられる。
シーシュポスの岩(英:the stone of Sisyphus)
シーシュポスは罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる)。
シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。
このことから「シーシュポスの岩(英:the stone of Sisyphus)」「Sisyphean labor」の語は、日本での「賽の河原」同様に「(果てしない)徒労」を意味する(この「シーシュポスの岩」については、タンタロスにも似た話が伝えられている)。
日常の反復の中にある祈り
同じ祈祷の言葉を幾度も幾度も反復するロザリオ。
同じ腐った現実を幾度も幾度も反復する底辺社会。しかしアンダークラスの腐りきった日常の反復の中にも祈りはある。
とても難しいことだけど、ずっとそう思って、そう出来るようにしていると、そのうち出来るようになる。